花弁飾りしは雪月の夢
統覚は友禅に身を散らし行く光の元へ
鮮やかな光に憧れた 幻想のような夕暮れ

季節が輝けるものでありますように
日々が確かなものでありますように
刹那が真実でありますように

ただ一つだけボクに見えるのは
燦然と輝く眩しいヒカリだけ

ヒカリが全てを飲み込んで
ヒカリが日々を包み込んで
ヒカリが今を導いて

ボクらの道はヒカリの差す方へ


暇つぶしに詩を作ってみました。
駄作ですので読まないほうが無難かも知れませんw
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[said-Origin]

喜びに満ち溢れた過去はいらない。
夢のように描いたような未来はいらない。

始まりの意味、終わりに至る訳
そんなものは興味も無い。

人類の意味、人類の未来、地球の意味、地球の未来
そんなものは知りたくも無い。

知りたいのは、僕のこの両手は「何」を掴むのかって事、ただそれだけ。

定理された「固定概念」を破壊せよ。常識とされる「意味」を覆せ。

[said-B]

降る雨は永遠に交わることの無い空と大地を繋ぎ留める
吹く風はまだ知らぬ季節を運び、思わせる
空を飛ぶ鳥達を見て僕たちはその姿に夢み、憧れる

その空は何処までも果てしなく、「それ」に届かないと分かっていても手を伸ばす

雲、空、月、星
どれも遥か遠く及ばなかった

そして未だに、この手には「真実」すらも掴めない

[said-A]

柔らかな波 そっと意識へと繋がれて
意思を反応するように水面(みなも)は揺れた

生命に干渉し 空白を充たすほど 世界は明白な終わりへと続いて

幾千ものキーワードを陰りもせず 日々、流れている時の中に溶けていくのは
私達を囲む幾つもの色に気付かないのと同じで 儚く、そして拙い
何処までも深い蒼、身についた朱、静寂を包み込む漆黒、空を覆う数多の白
イメージの中、大地は律動を始める ほんの少しの可能性も得てする事もせずに

未来はまだ遠く、過去は遥か昔、知識は花火のように
救われない私達の羽は取れ、空を思う

波は歪む 世界は響いて 
音が笑う 月が誘う 空が枯れる

1秒先の未来まで歪んで 1グラムの重量で世界が揺らいで
たった1つの言葉で失って 1つの空を思い続けて

静かに流れる私の祈りは 劣化もせずに世界へと賭けて行った

声が揺れる 日々が霞む 
想いが響く かき消された海 浮かび出す色

貴方が無くした物は?

小さな空を忘れぬように 誰にでも平等に広がる広大な空を思う
それは誰もが掴むはずのほんの一握りの断片

貴方が欲しい物は何?

[said-A’]

穏やかな風、影いだ水面に波長を描く
海辺にたどり着くは幾重の感情か、それとも意思か

鮮やかな波に彩られ、陽と空が繋げられたカラーを思う
寄せては返し寄せては返す。

混ざり合う景色を永久の目で見つけ続けた。

繰り返す。繰り返す。繰り返す。繰り返す。

幾千年も、何万年も、何億年もそれを繰り返してきた。

「それ」を見てた。

「流れる景色」も「流れる季節」も「流れる時」も
全てを見ていた。全て適わなかった。全て虚ろだった。

「それ」が全てだった。

[said-B’]

風花散らす風、意識して虚脱する風景
浮上する浮き灯、再生する夜空

破壊する衝動、ある一定に固定された感情概念
優先された事項、目的の達成

訪れる「秋」、待ち焦がれた「春」
咲く「夏」、眠る「冬」

断片的な絶望、微かな希望
あるべき未来、忘れたい過去

人間にも世界にも、限らず存在するはずの意思。

ささやかな衝動に彩られた水面(みなも)は微かに揺らぎ、その反応は静かに広まる。

たった一つの涙が全ての感情を流し去るように
たった一つの音が反響し、広まるように
たった一つの風が唄を運ぶように

全ての始まりは、その物事の始まる刹那の瞬間から。

世界の全て、世界の端、世界の始まり、世界の終わり

「1」からではなく全ては「ゼロ」から。

全てをつなぎ合わせる終わりの数までを刻み続ける数の「最初の最初」のその刹那が全てだった。

世界に「ゼロ」はすでに無い。すでに始まっているからだ。
今、世界中で起こっているどんな些細な出来事にも「ゼロ」はある。

今、この瞬間にも、瞬きの今にも「ゼロ」はある。

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何個か分かれて書かれていたり、わざと順番を並び替えたりしたのはそれなりのわけがあるわけでして………気付く人いるかな?

また、暇だったら書きます。


「嘘」

一言で嘘と言ってもこの世には幾つかの嘘が有ると僕は思っています。
一つ目は「相手を想って言った嘘」
二つ目は「悪意があって言った嘘」
三つ目は「軽い冗談やからかいの意味の嘘」

「嘘」とは「真実」で無いものです。
それが例え1つ目の「相手を想って言った嘘」だとしても、それが嘘だと知った相手の反応はけして穏やかなものではないはずです。
嘘とは人を騙し、事実とは食い違った事を言ったり、偽ったりすることです。
これがどれだけ重く、そして、どれだけ罪な事なのかを知るのは嘘を付いた自分自身に必ず最終的に「ツケ」として回ってきます。
大体の場合はもっとも望まない形のものが帰ってきます。
信用を失ったり、縁を失ったり、最悪の場合は帰ってきた「ツケ」の大きさに自分自身を見失ったりしてしまう場合も有ります。
世間的なイメージでは「嘘はいけないことだ」と想われていますでしょう。

でも、僕は嘘は悪い事だとは思わない。

元々、人間というのは「偽り」が無ければやっていけない生き物なんですよ。だって、人生においてその場その場で本音で話してたら適度な人間関係なんか成り立つはずが無い。人類誰と話してもギスギスした関係にしか成り得ないはずです。
多分、この文を読んでいる貴方もそうでしょう。そして僕も例外なく当てはまっています。確かに偽っています。装っています。
そうすることでしか、人と人は触れ合えませんから。

つまり何が言いたいかってーと、僕は上にも書いたけど「嘘はよくない」とは言わないけど、「嘘は人生を送るには必要」だって事。

まとめ
「適度に嘘を付いて生きましょう」